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コルンバ

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コルンバについて

コルンバから望むパンタナールコルンバ(Corumbá)は、その三方を「つ」の字型に大きくうねったパラグアイ河に囲まれた見晴らしの良い高台に開かれた都市です(コルンバとはインディオ・トゥッピー族の言葉で、isolado「隔離された」の意)。そもそもパラグアイ河沿いの第一の軍事的要所として選ばれただけあって、市内から望むパンタナールの風景は絶景です。また、パラグアイ河から直線距離で3kmほど離れた位置には、標高300mの丘(Morro do Cruzeiro)があり、そこから一望するパンタナールは、さらに絶景です。数年前に、頂上にリオデジャネイロをなぞらえたキリスト像が建設されたことも合わさって、このキリスト像展望台は今日、パンタナール観光において必見のポイントになっています。

市の歴史は、スペイン軍の侵入を防ぐ目的でパラグアイ河沿いに要塞Forte Coimbra( 1775年)が築かれた18世紀後半にさかのぼり、マットグロッソドスール州内ならびにパラグアイ河流域では最も古い都市の一つです。パラグアイ戦争(1864-1869年)期には、一時パラグアイの占領下(1857年〜1867年6月13日)に入り、すでに国際貿易港として発展途上にあった町並みは一旦荒廃したという歴史をもっています。(セントロ地区の東に位置する要塞Forte Junqueira(1871年)は訪問可)

パラグアイ戦争後、市は欧米諸国とブラジルの輸出入の一大拠点として発展し、一時、南米第三の河川商業港として繁栄を謳歌した時期(〜1930年)もありました。ブラジル銀行コルンバ支店(1914年開設)の、支店番号14は、その当時の繁栄の名残です。市中心部には多くの石畳の通りと20世紀前半までに建てられた、石造りコロニアル様式の家々が今なお多く見られます。(Porto Geral港前の町並みは国の指定文化遺産)

鉄道網や自動車網の発達し、水運の重要性が薄れた20世紀半ば以降、商業都市としてのコルンバは衰退しましたが、1970年代後半からは、パンタナール全領域の約4割を占める「パンタナールの都」として知られるようになりました。今日、釣り観光をメインにエコツアーを加えた観光都市として開発が進められています。(例えば、ブラジルのフェルナンド・エンヒキ・カルドーゾ前大統領も、数回、釣り休暇をコルンバで過ごしています。)

90年代以降、南米諸国間の経済交流の高まりの中、南米大陸の中心部に位置するコルンバは、大陸レベルの物流の要所としての注目を集め始めています。近年ボリビアからのガスパイプラインが敷設されたり、インフラ整備の一環として、2001年5月にはパラグアイ河に2km長の大きな橋も竣工しました。(それらの案件で、こんな小さな町に何度もブラジル大統領が足を運んでいます)

90年代後半には、蛇行するパラグアイ河に直線の水路を築くという議題が取り沙汰された時期もありましたが、パンタナールの生態系を破壊してしまうという危惧の声が大きく、近年そういう話題はきかなくなりました。

コルンバは、世界有数の鉄鉱石とマンガンの産地であるという顔も持ち合わせおり(それぞれ世界第3位、第2位の埋蔵量)、1975年以来、採掘会社の大手二社が操業しています。イギリスからの資本注入によって、昨年からその採掘量が大幅に引き上げられました。それらがパンタナールの生態系にどのような影響を及ぼすのかは分かりませんが、いずれにしても、パンタナールの持続的開発は今後の重要なテーマであると思います。

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コルンバ市内の写真

Genaral Rôndon大通り周辺

カルナバルのメインストリートとなる大通り

各種イベント会場
ともなる広場

パラグアイ河に沈む
夕日は絶景です

眼下に見えるのがPorto Geral港
Porto Geral港周辺
かつて、港通りには世界各国の銀行25支店(三菱銀行の支店もあったらしい)が立ち並び、南米第三の商業港として繁栄を誇ったPorto Geral港。その往年の家並みが残る港通りは、国の文化遺産に指定(1992年)されています。2005年から再整備工事が進行中。
港と市街地を結ぶ坂道近辺は、ブラジルがパラグアイからコルンバを奪還を果たした1867年6月13日の主戦場となったところです。坂道の出口は、現在パラグアイ戦争時の英雄を称えるヘプブリカ広場として整備されており、その正面には、Nossa Senhora da Candelária(1877年)が建立されています。

主だった釣り客船は
出払っていました。

港の景観はよくなっています。

上にはGeneral Rôndon大通りの椰子の木

急な坂道の先にはN. S. da Candelaria教会
独立広場(Praça da Independência, 別称:ドンボスコ広場)
市中心部にある広場。旧動物園が、1917年に広場として再整備されたもの。市民からはジャルジン(公園)との呼び名で親しまれています。広場にある4つの石像は、パンタナールに狩りに来たイタリア・ピサのある伯爵から寄贈されたもので、一年の四季を表します。
広場正面にあるSantuario Maria Auxiliadora教会(開館13-20時)には、パブロ・ピカソの友人のアーティストブルゴーソによって建造された木像が配置されています。ピカソ自身もコルンバで数ヶ月を過ごし、多くの木工品や石膏工芸物を残しています。

奥に見える八角形の野外ステージはドイツ製

パラグアイ戦争の英雄を称えた銅像がある。

広場正面にはカトリック教会。典型的ですね。

広場前の商店街。その先にパンタナールが。
キリスト展望台(Mirante do Rei Cristo)
市内を一望できる「十字架の丘(Morro do Cruzeiro)」頂上に立つキリスト像は5年以上の歳月をかけて建造されました。丘頂上へ至る坂道には、十字架を背負いながらゴルゴダの丘を登っていかれたイエス・キリストをモチーフとする72体の石像が立ち並んでいます。

参考リンク

SITE SOBRE A CIDADE
DE CORUMBÁ MS
コルンバ全般に関する情報が集約されたポルトガル語サイト
FÉRIAS BRASIL- Corumbá ブラジルの主要観光ポイントを網羅するFÉRIASBRASIのコルンバ紹介のページ


観光代理店

南パンタナールのエコツアーのページをごらん下さい。

宿泊情報

コルンバ市内の宿泊情報は、ブラジル宿泊情報のページをごらん下さい。

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最終更新:2008年5月1日

Since Feb 03, 2006
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